日誌的なもの

毎日なんかしら書きたいヤツの日誌

絶対評価で考える

自分のスキルや実績などについて、社内の人と相対的に比較して評価する、みたいなことがない。

正確には、振る舞いや技術について参考にすることはあるけど、参考にする以上の何かではない、みたいな言い方が良いかもしれない。

ライバルもロールモデルもない。今までそういうのがあったことがない。でも、いつかこういう仕事ができるようになりたい、といった憧れはある。夢みたいな。

だから、自分の仕事について気にしているのは、その夢との距離、世界との落差、そう言ったものになる。

比較対象がワールドクラスだから、社内の相対で考えるよりも余程しんどいというのはある。実際、真剣に向き合って、一時期デザイナーをやめようとしていたくらいにはしんどい。

でも、一度仕事が世に出て仕舞えばそこは世界なわけだから、世界と自分、そういう比較が良いと思う。自分の関心は常にアウトプットにある。

会社単位で見れば、自分はいい仕事にしようと執着はするし、良い給料も欲しい。が、待遇はなんでもいい。平社員でOK。他人と比較しないから。まぁ現実問題として、ある程度偉くないと良い給料をもらえないであろうから、そういうのはあるが、ポジションに興味があるか無いかでいえば無い。スキルをよりよく生かすためのポジションという話もあるから、こう割り切れるものでもないんだけど。

こういうマインドっぽい話は普段全然出てこないなぁと思っていて、それはそうなんだけど、みんなどういう感じなんだろうか。

チキンレースと化し

表題に【要確認 ○○様】と名指しのメールが届いて、朝からゲンナリした。ただの宣伝メールでやることではない。気を引ければ何でも良いと思っている思考回路が非常にスパムっぽい。仮に結果が出て、あらゆる業者でこんなことをやり始めたら地獄だと思うのだけど、なぜそこに気づけないのか。

不動産屋のチラシも最近大きな変化があって、役所からのお知らせみたいな体で、簡素なそれっぽい封筒で送られてくるようになった。間違いなく人の認知をごまかしたいと思っているわけで、普通に考えると、そういう不動産屋と付き合おうなどとは絶対に思えないと思うけど、このような手法がまかり通っているのが不思議でならない。

みな数字の改善を求めてそのような手法に手を染めるのだろうけど、1ミリもユーザーのためになっていない。どちらかというと社会の害である。ABテストの結果、Bの方がいいじゃん、これでいくぞ、と脳死で決めていく世界の成れの果てか何かなのか。数値を追い求めてチキンレースと化し、最終的には壁に激突して爆発するのだろうな。

そういうことじゃねえんだよ

小説を読んで心を動かされた時、決まって文字ではなく脳裏で再生される映像をみている。感動が深いほど、何度もその映像を再生し直して、噛み締めて味わおうとする。

その時ふと「この映像だけで、果たして同じ感動を得られるか」と自問して、無いなと思う。

この文字の選び方でしか得られなかった表現というものが確かにあって、それは決してビジュアルでは得られない。ビジュアライズとは、エッセンスを抽出して再構成するということ。絵になれば、逆により大きな感動があるかもしれない。でもそれは文章から得たものとはきっと違うもので、映像化不可能とは、つまりそういうことなのではないか。

これ、夜中に思いついたときは、わ〜〜ってテンション上がったんだけど、どうなんだ。そういうことじゃねえんだよみたいな気がする。今。

仕方ない

ゼルダ無双レビューが割れるのわかるな〜。ブレスオブザワイルドの思い出が鮮烈すぎるのが悪い。無双の画面はあまりにもハイラルしていて、それを否応にも思い起こさせてしまうから、プレイして期待を裏切られるところまでがワンセットとしてゲームの手続きの中に含まれてしまう。

体験版をプレイして、なんだこのクソゲーは、と正直なところ思わないでもなかった。ジャンプはできない、山は登れない、解くべき謎もない。ハイラルの大地を生きる感動が、このゲームにはこれっぽっちも含まれていない。あるのは派手になった戦闘、ただそれだけ。

ところが子供たちはその派手な戦闘を無邪気に楽しんでいて、なるほどと思った。先入観なしに、全く別のゲームであることを受け入れられたらそこまで悪くない。おれ、戦うの好きだし。リモコンバクダンをゴブリンの巣にぶつけたら粉々になって壊れたときには笑ってしまった。技のつなぎ方で謎にかっこいい動きができることにも気付いてきた。

というわけで「あらかじめDL」済みだけど、まぁブレスオブザワイルドだから仕方なく買うみたいなのはあるよな〜。関連グッズを買う感覚。

Discord浸透中

最近Discordで会話することが増えてきた。Slack Callで事足りるじゃんと思っていたけど、実際に試してみるとノイズキャンセリングの具合がとても良くて、特に複数人で会話するときの体験の良さから徐々にDiscordが浸透してきている感じ。なんなら音声のチャンネルに常駐して、常に会話レディな状態にできるし、ときどき作業の様子をライブ配信したりするのも楽しい。

ただ音声チャンネルに入ると、Bluetoothヘッドホンの音が悪くなるという問題があって困っていた。具体的には、Spotifyで音楽を聴いていて、Discordで会話を始めようとした瞬間に音質が超下がる。これはBluetoothのマイクが使われると会話モード(低品質モード)になるのが原因のようで、音声入力をPCのスピーカーにしたら解決した。

たぶんぎっくり腰

眠いんだけど腰が痛すぎて寝れないので日誌でも書く。初めての経験なのでわからないけど、たぶんぎっくり腰というやつだと思う。

くしゃみをした拍子に、ビリっと腰に稲妻⚡️が走ってヤバいと思った。立っているのも辛いが座るのも無理。腰に手を当てて、ダメージの少ない背中の角度を探り、亀の歩みで椅子にたどり着く。なんとか腰掛けて、やや前傾でテーブルに肘をついて体重を支えてやるとだいぶ良くて、一旦落ち着けた。その後しばらくすると肘が痛くなってきて困ることになる。

今いるのはベッド。横になったはいいが、痛みだけでいうと椅子のほうがマシで、まったく寝れずにここにテキストを打ち込んでいる。

明日、仕事できるイメージが湧かない。

しかし、くしゃみの拍子にこんなことになるものだろうか。テレワークの影響もあるのかもしれない。

今も昔も

自分のTwitterの使い方は、今も昔も「気になり」をフォローしているだけで、結果的に情報ツールとしての側面はあるけど、それは2番目、3番目の使い方なんだよな。任天堂をフォローしているのも好きだからで、仮に内容が「お腹すいた」とかでも構わない。「誰が」が大事で「何を」には頓着しない。「気になり」が書いたことだから楽しめる、逆は滅多にない、という感じ。

昔は少なからずそういう感じが多くの人の中にあったと思うけど、今そんなこと言ってる人はいない。自分は変わらないが、周囲は変化していく。そういう時にどのように振る舞うか。Twitterに関しては引き続き好きに使っているだけだけど、合う合わないで言えばもはや合わないわけで、どうするか。まあ、普通はLINEとかで間に合っているんだろうと思う。

成長もの

成長もののストーリーは良い。才能ないやつが(あっても良いけど)、試行錯誤しながら自分なりの戦い方を見つけていくような話。ありふれているけど、勇気がもらえる。

昔は、それはもう、自分の才能のなさに愕然としたものである。誰も彼も、世界中で素敵なものが作られているのに、なぜ自分にはそれができないのか。

これは比較対象がおかしくて、このときの「誰も彼も」はつまり超一流のデザイナーたちであって、急にワールドクラスの仕事ができるわけがないのだけど、目に入ってくるのがそういうものだから仕方がない。本当は、界王様に会おうとすれば蛇の道を長い間ひた走る必要があるのだけど、デザインの仕事は一見して「自分にもできそう」と思えてしまうところがある。良くも悪くも。

覚えて欲しい

ここ数日、胃の調子が悪い。ストレスが胃に来るタイプで、過度なプレッシャーにさらされるとすぐに消化活動を止めてしまう。ピターッと。今回は日曜日に急にきたので、サザエさんシンドロームっぽかった。

単純な忙しさには強いんだが、忙しさに加えて背負っているものが大きい場合にこうなる。なんだかんだ、年イチくらいの頻度で胃が動かなくなっているような……。

責任が重いほどに面白い仕事なのは間違い無いんだけど、そろそろ体を労ることを覚えて欲しいと思う。まじにちょっと弱ってる感じがあるし。

出社してしまえば

仕事がたまりすぎていて、久々に休日出勤するかという感じになってきた。きついはきついんだけど、手を動かしていれば進捗する感じだから、気楽でもある。頑張ったら間に合うし。

やっぱり何かを作り始める時がいちばんプレッシャーあるよな〜。いろんなものを背負い込んで、ほんとにいいものができるのかと自問自答して、焦燥感しかない。

体力は順調に落ち続けていて、それでも出社してしまえばなんとかなるものだけど、メンタルはなかなか成長しない。なんで自信つかないんだろ。

意外と

ケガをさせてしまったが、そんなつもりは無かった。というときに、後から何を言ってもケガをしなかったことにはならない。メンタル面においても同様、胸に穴があいた事実が消えるわけではない。例えそれが、気遣いから発した言葉であったとしても。

みたいなことってごく当たり前じゃんと思う一方で、意外と共感してもらい辛いところでもある気がする。

数少ないことの

良い文章に出会うと、書きたくなる。そわそわして、何かないかと辺りを見回してしまう。日誌なんか全然続かないし、特段書くのが好きということはないはずだけど、この気持ちはどこから来るのだろう。不思議だ。デザインで同じようなことがあっただろうか。

何となしに「良い文章」と書いたけど、これ違いますね。正確には「好みの文章に出会うと、書きたくなる」。書き手の美意識のようなものが感じられる文章が好きで、これは自分で自分を理解している、数少ないことの一つ。なぜなら、誰も読んでないこんな日誌にも、美意識がいくらか込められているから。

mini clock app

急に思い立って初めて作ったmacOS時計アプリ、最低限すぎる機能しかないけど、ひとまず満足に動いており、めっちゃ気に入っている。普段メニューバーやDocなど余計なものを消して生活しているので、画面の端にそっと時計を置いておきたかったというのが制作のモチベーション。

あとは、せめて色と位置くらいは変更できるようにしたいが、技術力に問題を抱えている。環境設定画面とか実はシュッと作れたりするんだろうか。

最近は妖精さんがPull Requestを作ってくれることがあると聞いたので期待している。

Beats Solo Pro

朝、表参道のApple Storeへ立ち寄り。AirPods Proの行列を横目に、Beats Solo Proを求めてスッと店内へ。Solo Proも今日発売なのに温度差がすごい。暇していた外人店員さんに「視聴できる?」と聞いてもナニソレみたいな感じだった。

それにしてもこいつは素晴らしい。逸品。手にとれば、「はぁ〜これは良いものだ……」というしっとりとした感触を得られるはず。

アクティブ・ノイズ・キャンセリングの効果は電車で確かめるとして、ヘッドホンをしたまま会話できる《透明機能(外音をマイクで取り込む機能)》は普通に便利。《ヘッドホンを開いて電源ON》もすごい。畳んでOFFって面倒じゃないかなと思ったけど、モノが良すぎて、畳むという行為が楽しく、そもそも頻繁にON/OFFをしない。

ただ、耳に載せるオンイヤータイプなので、好みが分かれそう。