日誌的なもの

毎日なんかしら書きたいヤツの日誌

絵文字を使っていくといい

あらゆる箇所に、もっと絵文字を使っていくといいと思っている。小説にだって絵文字があったらウケると思う。

と彼は言った。

みたいな時。普通なら丁寧に人物を描写してきたから、単に「彼は言った」と書いただけで、それがどんな調子で発言されたかが目に浮かんでくる。これが、

と彼は言った😇

こうなったらどうか。全然ダメ。小説に絵文字は無しで。

市民その1

あまりにも生意気なことを書いていたことに気づいてしまって、愕然としている。

生意気だなんて意識はなかった。正直に言えば、むしろ節度をもって接した末に出てきたはずの言葉だった。でも結果としては、果てしなく生意気で、事情もわからず気取ったセリフを垂れ流す、いけすかない野郎だった。

まあ書いてしまったものは仕方ない。ないことはないが、どうしようもない。ただ本来なら、こんな記事なんか書いてないで黙って腕立て伏せでもすべきである。でもおれはちょっとやくざなところのあるタフな探偵でもなんでもなく、OLEDの液晶テレビを買ってしまって舞い上がっている市民その1であるので、懺悔を表に出してキーボードを叩いている次第である。理想と現実のかけ離れ方がハンパない。地味に打ちのめされるよな。

助かった

年をとるごとにデザインの話を軽々しくできなくなって、ふと自分のTwitterを見返したら、ただのゲームとサッカー好きのおっさんであった。しかも今Man Utdが悲惨すぎてへそを曲げているおっさんである。みんなフォロー外していいと思う。こんなやつでもなんとか生きていける世の中で助かった。

デザインの話をしがちなひとを、片っ端からアンフォローしていくのもいいかもしれない。ピュアに仕事に向き合うなかで、ノイズに感じることが多いんだよな。そう感じないひともいるんだけど。

そんなフシ

隔週の振り返りミーティング。やったこと、思ったことを列記してみて、いいことがまじに一つもなかった。地味にキツいと思っていたけど、実際そうだったんだなと思った。そういうサイクルヽヽヽヽヽヽヽヽってあると思う。公も私もうまくいかない、しかもそれがしばらく続く。

今思えば、なんとなくそのサイクルを予期していたようにも思える。「そんなフシがある」くらいだけど。オカルトっぽくなってきてしまった……と思ったけど、おれオカルト大好きなんだった。

本当に残念なことに、精神的な圧迫を感じているときに気持ちよく振る舞えるタイプではないので、きっとやらかしている。というか、一つ二つ思い当たる。それが一番キツい。考え方次第でいくらでもおおらかになれそうなものなのに、難しいよなあ。

よく言えば

古典に触れるのは大事なことである。というのは、実際のところ死語のようになりつつあると思う。洗練された現代的なアプローチから、遡る必然性なんかほとんどない。

だというのに、なぜかいま自分の中で古典ブームが来ている。たぶん、効率や正確さよりも時代性のようなものに関心があるから……かも知れない。

それが使い古されてはじめて古典と呼ばれるわけだから、古典自体には面白さはあっても目新しさはない。だから自然と、当時に想いを馳せて、現代と比較して、みたいな読み方になる。そういうの、ちょっといいと思う。勢いでいいこと書いてしまった。

なので、急にマルタの鷹とかを読んでいる。次はチャンドラーです、もちろん。

サントラ来ちゃった件

Wizard of LegendのサントラがApple Musicに出ていたことを知って大興奮。そもそも、音楽がとても良くて、サントラ欲しいなぁとうっすら思ってはいた。超のつくほど好きなゲームのサントラを聴ける、みたいな体験といえば先日のブレスオブザワイルドがあったけど、今日のは不意に知った衝撃が大きくてやばかった。

このゲームがどれくらい好きかというと、入手できる全アイテムを早々にコンプリートして、HPが1になる服を装備して延々とチャレンジを繰り返し、大型アップデートを即日クリアしてしまうくらいに好き。

https://beta.music.apple.com/jp/album/wizard-of-legend-original-game-soundtrack/1381419427

Apple MusicのWeb版beta、良いですね。

ふわっと

最近仕事にじんわりとした辛さを感じる。理由はいろいろあるんだろうけど、積極的に向き合いたくないから、深掘らずにふわっとさせておきたい。

人間関係とかであればちょっと離れるとかしたらよいが、仕事でそうしようと思ったらなかなか大変だから難しい。

溜め込む性質だからこういう話題の話をできる友達がいるといいけど、まぁいない。自業自得すぎる。

よく見える

ひとの良いところは幾らでも言えるが、自分のことはわからない。未だにそう。短所は死ぬほどあるのに。とはいえ時々は褒められることもあるので、そういうのをテキストに残していったらいいのかなと。自分の良いところは知っておいた方がいい。特に、誰かを指導する立場の人は。

どうも自分は判断力があるらしい。まあ、あるかもしれない。たぶん、理想から入って現実に落とし込む、みたいなところが評価されているのではないか。

それについて、いくつかのプロセスを思い出してみると、ポイントは判断に私情が入らないところかもなと思った。良く言えばそうで、悪く言えば、自分を大事にしていない。

自分を蔑ろにしている感覚はけっこう実感があって、それが、こと判断することに関してはうまく働いているのだろうと思う。

これ、結局短所の話になってないか。まじで短所はよく見えるよな〜。

危ない

ブレスオブザワイルドのサントラを聴きながら歩いて、ブログのアプリでテキストを打ち込んでいる。危ない。子供がマネしたらむちゃくちゃ怒ると思う。

しかしこのサントラはすごい。聴くたびに発見がある。2つの曲、どちらも充分にメインを張れる美しいメロディが、ひとつに重なると、全く新しい魅力が立ち上がってくる。もちろん計算されている。でもそれが必然に思える。そういう世界の調和がある。

いつかおれにもそんな仕事ができるだろうか。できるかもしれない。仕事中、この音源をセットするのを忘れなければ。

こんなことってあるんだな

チームメイトたちの発表が素晴らしかった。

この仕事で外しちゃいけないところはどこか。ただ説明するのではなく、自分の言葉で伝えるとは何か。そういう勘所のような、ふわっとした感覚を掴んでもらうこと。そんな、普段の仕事の中で感じ取ってもらうのが本当に難しいなぁと思っていたことを、すっかり自分のものにして、堂々と発表している姿を目の当たりにした。わりとまじに驚いた。谷から突き落としたら、ランボーになってよじ登ってきたみたいな。

こんなことってあるんだなと。発表ひとつをこれだけダイレクトに成長につなげられる人が、世にどれだけいるだろう。いうほど世間を知らないけど、きっとそう多くないでしょう。これはものすごいことです。

積みすぎ

日頃いろいろとアドバイスしたりするけれど、今言っているこれ、自分は別にそういう感じじゃないんだよな。みたいなことが多くて、わりとマジにどうなんだ感がある。

「顔を上げて、前を見て発表するんだ!」と言ったものの、オマエ(自分)は人の目を見て話せないタイプじゃん、みたいな。「話したいことを暗記しておけ!」って、オマエ(自分)は全部その場でアドリブじゃん、みたいな。棚に上げすぎ。重量制限に引っかかるレベルで棚に積みすぎ。

本来なら、絶対オレのマネをするんじゃないぞという言葉を贈るべきである。こんなにも一切参考にならない上司があるだろうか。書いてて笑えてくるけど笑ってる場合じゃない。今まで勘でなんとかしてきたツケがでかすぎて、どう払っていいのか、そもそも払える範疇に収まっているのか。

消したよね

酔った勢いで書いていたけど、消したよね。あぶねえ。

余計なこと口走っちゃったな、と途中で思ったりしつつ、でもいい会だった。たぶん。

仕事仲間は家族よりも接する時間が長いとよく言われるの、まじでそうだよな。なんか急に思ったけど。時々思い出さないといけない事実だ。

それ言わなければいいのに

自己顕示欲が見えてしまったら格好悪い。というのは共通認識のはずなんだけど、世の中に溢れかえっている。知らずとそうなっているものが多いんだろうとはいえ、手を替え品を替え、ワタシすごいみたいなオーラの残滓があちこちで見える。承認欲求〜! 今まさに、できれば見たくなかった(他人の)自己顕示欲の発露を目の当たりにして、それ言わなければいいのに、アナタそういうの必要ないでしょうに、という残念な気持ちをこの日誌にぶつけている。書くところがあってよかった。

一方で欲が見えなかったら無というか、だから格好良いみたいにはなりにくいから、仕方ない部分もあるとは思う。でも、イケてる人は得てして、いいポーズを見せなくても格好よさを知ってもらえているものだと思う。ポーズ見せられたらガッカリするよな。

あ〜自分もやらかしてるんだろうなぁ。承認欲求につながる回路があったら切りたい。素朴でいい。ときどき褒めてもらえれば(承認欲求)

ジャーニー

昨日の日記と関連して。音楽自体も、強い回想力がある。ぼくのナンバーワンはジャーニー(アメリカのロックバンド)で、聴けば一瞬で、中学生の試験勉強をしていたシーンが鮮やかに蘇ってくる。

田んぼに囲まれた家で、深夜に、カエルがうるさいからという理由でヘッドホンをして、ジャーニーを聴きながら机に向かっている。夜更かしと音楽というのが変なテンションを生んで、ひとしきり勉強したあとに、なぜか外に出てあぜ道を走った。思春期のアホである。

無名の楽団

オーケストラといえば東京だのウィーンだの、テレビで見かけるようなものしか知らなかったけど、世の中には無名の楽団が沢山あって、腕前もそれぞれである。もちろん。

ゲームミュージックを探していて、とある無名の楽団の演奏を聴かせてもらって、それがあんまり上手くなかった。どちらかと言えば結構下手だったかも知れない。けどそれ自体は問題ない。誰も悪くない。強いて言えば著作権に問題があったかも知れない。許諾を得た録音だったのか、どうなんだ。

演目は好きなゲームの戦闘シーンだった。ストーリー最終盤の盛り上がるやつ。それを聴いて、あんまり上手くないオーケストラ演奏を聴いたのは初めてだな、と思った。それから、これはアカンやつだなと。

思い入れのあるシーンというのは、得てしてゲーム体験の感動に留まらず、生活の状況だったり、当時のプレイの周辺をまるごとぶわっと思い起こす。おそらく、多くの人が。もしそれが素晴らしい演奏であれば、浮かんでくる情景はより鮮やかなものとなって胸に迫ってくる。で、この演奏はというと……。

ゲームミュージックで野良の演奏を聴くのはリスクがある。もしかしたら、演奏する方も。

でも人によっては、案外微笑ましく聴けるみたいなのがあると思う。そういう人間になりたかったよね。おおらかな感じの。

あとゲームによるなと今思った。マリオみたいな楽しいやつならセーフであろう。