酔った勢いで書いていたけど、消したよね。あぶねえ。
余計なこと口走っちゃったな、と途中で思ったりしつつ、でもいい会だった。たぶん。
仕事仲間は家族よりも接する時間が長いとよく言われるの、まじでそうだよな。なんか急に思ったけど。時々思い出さないといけない事実だ。
酔った勢いで書いていたけど、消したよね。あぶねえ。
余計なこと口走っちゃったな、と途中で思ったりしつつ、でもいい会だった。たぶん。
仕事仲間は家族よりも接する時間が長いとよく言われるの、まじでそうだよな。なんか急に思ったけど。時々思い出さないといけない事実だ。
自己顕示欲が見えてしまったら格好悪い。というのは共通認識のはずなんだけど、世の中に溢れかえっている。知らずとそうなっているものが多いんだろうとはいえ、手を替え品を替え、ワタシすごいみたいなオーラの残滓があちこちで見える。承認欲求〜! 今まさに、できれば見たくなかった(他人の)自己顕示欲の発露を目の当たりにして、それ言わなければいいのに、アナタそういうの必要ないでしょうに、という残念な気持ちをこの日誌にぶつけている。書くところがあってよかった。
一方で欲が見えなかったら無というか、だから格好良いみたいにはなりにくいから、仕方ない部分もあるとは思う。でも、イケてる人は得てして、いいポーズを見せなくても格好よさを知ってもらえているものだと思う。ポーズ見せられたらガッカリするよな。
あ〜自分もやらかしてるんだろうなぁ。承認欲求につながる回路があったら切りたい。素朴でいい。ときどき褒めてもらえれば(承認欲求)
オーケストラといえば東京だのウィーンだの、テレビで見かけるようなものしか知らなかったけど、世の中には無名の楽団が沢山あって、腕前もそれぞれである。もちろん。
ゲームミュージックを探していて、とある無名の楽団の演奏を聴かせてもらって、それがあんまり上手くなかった。どちらかと言えば結構下手だったかも知れない。けどそれ自体は問題ない。誰も悪くない。強いて言えば著作権に問題があったかも知れない。許諾を得た録音だったのか、どうなんだ。
演目は好きなゲームの戦闘シーンだった。ストーリー最終盤の盛り上がるやつ。それを聴いて、あんまり上手くないオーケストラ演奏を聴いたのは初めてだな、と思った。それから、これはアカンやつだなと。
思い入れのあるシーンというのは、得てしてゲーム体験の感動に留まらず、生活の状況だったり、当時のプレイの周辺をまるごとぶわっと思い起こす。おそらく、多くの人が。もしそれが素晴らしい演奏であれば、浮かんでくる情景はより鮮やかなものとなって胸に迫ってくる。で、この演奏はというと……。
ゲームミュージックで野良の演奏を聴くのはリスクがある。もしかしたら、演奏する方も。
でも人によっては、案外微笑ましく聴けるみたいなのがあると思う。そういう人間になりたかったよね。おおらかな感じの。
あとゲームによるなと今思った。マリオみたいな楽しいやつならセーフであろう。
「今日こんなことがあってさあ」
「……」
「それでね、夕飯はどうする?」
沈黙の表現として「……」 これを書くか書かないか、みたいなのがある。
僕としては、書かないほうが格好良い。何かを削る作業をするときの意識ってほぼこういう感じ。おそらく。
会話をしているときに、自分は自分の立場で言葉を受け止める。その時に、周囲の人たちの立場も慮れるというのが、コミュニケーションがうまいということなんだろうけど、なかなか難しいよな。
ただ、もし自分が自分のことで精一杯なら、相手もそうなのかもしれない。と思えば、少し救いがある気がする。
ボチボチ趣味活動でも再開したいと思いつつ、ゲームしてしまう。楽で。物語を書いたり音楽を作ったりするのは、結構本気を出す必要があって、楽な方に倒れてしまう。創作っぽい活動は元気な時にやるものなんだろうな。昔はエネルギーがあった……。ただまぁ、やるなら音楽の方が楽かもしれない。キーボード叩けば音が出るから。や、そんなことないな。キーボード叩けば文字打てるわ。
たぶん、とにかく始めちゃって、流れを作ってしまえばスイスイいけるんだろうと思う。ゴールデンウィークが終わる頃に、なにかできてるといいけど、はたして。
長年Adobeに(ときどきイライラさせられつつも)めちゃくちゃお世話になっておきながら、ブログを初めて読んだんですが、めちゃくちゃいいことが書いてあった。
「私はこの場にふわさしくない」にはドキリとした。おまえはおれか。ついこの間似たようなことを書いた。
幸せで健全なペテン師になる方法を学んだ
これなんてやばい。「もう割り切ってエラそうに言うしかない」みたいに思ってやっているけど、これ完全にペテン師の思考じゃ。ええんかそれで。ええのんか。
社会との繋がり方こそが重要だよな。世の中にいいことをやっている。子供に自慢できる。自分たちはそういう会社だと自信を持って言える。そうでなければ採用を担当することなんてできないと思う。採用の現場で、まさに自分はこういうことを話しているはず。たぶん。
あれ、つまりおれって結構いいこと言ってるということじゃないの。もしかすると。
授業参観に行ってきた。新一年生らしく、教室の壁に自己紹介の紙が一面に張り出されていて、みんな工夫して色を塗ったりしているなか、案の定うちのソラくんのは驚きの白さで、素朴すぎて逆に目立っていた。先生ハゲてたけどめちゃめちゃいい人そうな感じ。他クラスの偵察に行った妻によれば、よそはお通夜、ハゲのクラスが断トツで盛り上がっていたとのこと。
知人友人たち、みんな偉くなっててすごい。やばいよ。取り締まり的なことをしてたり、大学講師になってたりするなか、めっちゃ現場のおれ。いいのか。大丈夫ですか。
言うほど気にしてないけど、まわりがほんとみんな偉いからビビってしまう。まぁいいよ。おれ大工の棟梁とか、そういう感じ目指してるから。たぶん。
しかし講師率がすごい。みんなよくできるよね、絶対無理だわ。自分ができるとしたら、超前向きで、素養もバリバリで、ニュアンスを汲んでくれて、そんで全部で5人くらいの環境だったらやっていけるかもしれないけど、そうでなければイラついて3秒で家に帰ると思う。
難航しすぎて氷山にぶつかっては大破するを繰り返していたデザインが、ようやく沈没しないルートを見出して、落ち着きを取り戻しつつある。自分としては新機軸をちらほらと入れ込むことができたし、解説するとちょっと面白いポイントもあったりして、ボーダーは超えていると思うけど、うまくいくかどうか。はぁ。
しかし毎回のたうち回ってデザインしていて、どうにかならんのか。いい年してまじで。こんなに常に困ってる同年代いるんだろうか。真に才能があればスッといけるものなのか、意外とそうでもないのか。
ときどきふと我に返って、まじめに仕事に向き合っていることに自分で感心することがある。実際のところは、手の抜きどころがわかってないとかそういう感じで、うまいことそのあたりのエネルギーを仕事に持っていけている、みたいなことなんだろうな。おかげで苦労するわけだけど。