日誌的なもの

毎日なんかしら書きたいヤツの日誌

インターネットっぽさ全開

クライマックス的なところに到達したWeb小説が、突如3時間ごとにどんどん更新されていくというのを目の当たりにして、すごかった。インターネットっぽさ全開の、ダイナミックな感じ。「次回は3時間後の18時」みたいなあとがき、アツすぎるでしょう。盛り上げ方ァ〜! 仕事中にしっかりチェックしてしまった。作者さんありがとう。こういうのを体験してるかどうか、みたいなのあるよなーと。

日誌がまじで続かないから

なんでも書くようにしたらいいんだけど、そのなんでもも難しいと感じる。まじ、自分には何もないのではないか。空っぽか。ほんとに。

今、ゲームのことなら無限に書ける気がしてきたのでゲームのことを書く。

トライアルズ・ライジング、Switch版を買いました。Switch版をというか、PS4もPCも持っていないので、基本Switchでしかゲームを買えません。

不思議と急に丁寧語ですが続けますと、めっちゃ面白い。ゲームをしている最中ずっと笑顔。基本、ものすごく難しい硬派なゲームであるので、めっちゃ真剣にプレイするのだけど、笑える。なんなら声が出る。

だいたい真剣に取り組んでると殺伐としてくるから、こういうのいいよな〜と思う。あんだけ遊んでたスプラトゥーン、しばらくやってないけど、いざ絶ってみるとどれだけストレスを抱え込んでいたのかがわかる。別にスプラがというよりも、スマブラだろうがSPFだろうがシューティングだろうが、硬派なところのあるゲームはやりこむうちに「キーッ」となってくるものだと思うけど、トライアルズはまじで笑顔。すごいと思います。

キーッとならないゲームはいい。ゼルダBotWもキーッとならない。凝り性だからか自然とやり込んでしまうので、今後はそういう感じのゲームを大事にできたらいいと思う。

今日の何言ってんだこいつ(1)

情報をどういう風に取り扱うか、それをどう表現するか。すごくロジカルなものだと思っているけど、ロジカルさをきちんと発揮するためにはセンスがいるのかもしれない。結局は。

少なくとも、ロジカルな部分だけを教えてもダメで、いやダメということはないが、必要なのはもっと本質的な何かなんだろう。

なんか、デザインの端々に生き様が見える人は一様にしてより本質的だ。分脈があり、納得感がある。説得力のある仕事というのはそういうことなのかもしれない。

引き出しないかもしれん

いま複数のデザイナーがいるチームで、他人(ひと)のデザインを見れるのって素朴にいいよなーと思う。当たり前だけど、自分にないものがでてくる。そしてADとして関わる中で、おれってそういう風に考えてるのか、みたいな、今まで特に言語化していなかったプロセスがどんどん出てくる。ADしながら一緒に勉強させてもらってるなぁと本当に思う。

別の話題で、デザイナーとして引き出しを持ってるとか持ってないとか、そういう話があると思う。今日それを小耳に挟んで改めて考えてみると、自分はおそらくそんなに引き出しないんじゃないかと思った。

というか、よくよく考えると、引き出しが存在するかどうか怪しい。常に徒手空拳からスタートしてる気がする。おれ、引き出しないかもしれんわ。たぶん、引き出しないやつでも生きていけるんじゃないかと思う。

明快さと一覧性

明快さと一覧性って相反するものとして捉えられがちなように思われるけど、意外とそうでもないよなと。

  • 明快さ:シンプルさ、端的、スッキリしている感じ
  • 一覧性:リスト、凝縮、ごちゃっとしがちな感じ

一覧性は明快さに含まれる、内包されるものとして捉えた方がよさそう。 大枠をざっと把握するために一覧性を求めるというのは、それはそれで明快さがある。そういう風にデザインされていれば良い。複雑なシンプルさ、みたいなものにもっと意識的でなければいけないなぁと思う。

ダラけておけば

元旦、iQOSを掃除していたらブレードを折った。新年だから気持ちよく掃除でもするかと思ったのが間違いだった。いつも通りダラけておけばよかった。ひさびさに吸った普通のマルボロは、味はともかく匂いが無茶苦茶辛かった。よくこれ吸ってたよなと思う。とりあえず三が日は我慢して、出社初日の今日、定時ダッシュで原宿のiQOSストアへ。無事新しいホルダーをゲットして、ついでに爪の折れたチャージャーも交換になって、一揃えが新品になった。急に新年っぽい。ブレード折ってよかったかもしれない。