情報をどういう風に取り扱うか、それをどう表現するか。すごくロジカルなものだと思っているけど、ロジカルさをきちんと発揮するためにはセンスがいるのかもしれない。結局は。
少なくとも、ロジカルな部分だけを教えてもダメで、いやダメということはないが、必要なのはもっと本質的な何かなんだろう。
なんか、デザインの端々に生き様が見える人は一様にしてより本質的だ。分脈があり、納得感がある。説得力のある仕事というのはそういうことなのかもしれない。
情報をどういう風に取り扱うか、それをどう表現するか。すごくロジカルなものだと思っているけど、ロジカルさをきちんと発揮するためにはセンスがいるのかもしれない。結局は。
少なくとも、ロジカルな部分だけを教えてもダメで、いやダメということはないが、必要なのはもっと本質的な何かなんだろう。
なんか、デザインの端々に生き様が見える人は一様にしてより本質的だ。分脈があり、納得感がある。説得力のある仕事というのはそういうことなのかもしれない。
いま複数のデザイナーがいるチームで、他人(ひと)のデザインを見れるのって素朴にいいよなーと思う。当たり前だけど、自分にないものがでてくる。そしてADとして関わる中で、おれってそういう風に考えてるのか、みたいな、今まで特に言語化していなかったプロセスがどんどん出てくる。ADしながら一緒に勉強させてもらってるなぁと本当に思う。
別の話題で、デザイナーとして引き出しを持ってるとか持ってないとか、そういう話があると思う。今日それを小耳に挟んで改めて考えてみると、自分はおそらくそんなに引き出しないんじゃないかと思った。
というか、よくよく考えると、引き出しが存在するかどうか怪しい。常に徒手空拳からスタートしてる気がする。おれ、引き出しないかもしれんわ。たぶん、引き出しないやつでも生きていけるんじゃないかと思う。
明快さと一覧性って相反するものとして捉えられがちなように思われるけど、意外とそうでもないよなと。
一覧性は明快さに含まれる、内包されるものとして捉えた方がよさそう。 大枠をざっと把握するために一覧性を求めるというのは、それはそれで明快さがある。そういう風にデザインされていれば良い。複雑なシンプルさ、みたいなものにもっと意識的でなければいけないなぁと思う。
他者評価のことしか頭になかったけど、自己評価があったことに気づいた。諦めつつある。忙しいんじゃ。来週が山場。
このへんの時期はヒマしてる予定が、案外忙しかった。むしろ超忙しいかもしれない。明日の評価の締め切り、まだ何もしてない。明日のおれ、頑張ってくれ、頼む。