日誌的なもの

毎日なんかしら書きたいヤツの日誌

よく見える

ひとの良いところは幾らでも言えるが、自分のことはわからない。未だにそう。短所は死ぬほどあるのに。とはいえ時々は褒められることもあるので、そういうのをテキストに残していったらいいのかなと。自分の良いところは知っておいた方がいい。特に、誰かを指導する立場の人は。

どうも自分は判断力があるらしい。まあ、あるかもしれない。たぶん、理想から入って現実に落とし込む、みたいなところが評価されているのではないか。

それについて、いくつかのプロセスを思い出してみると、ポイントは判断に私情が入らないところかもなと思った。良く言えばそうで、悪く言えば、自分を大事にしていない。

自分を蔑ろにしている感覚はけっこう実感があって、それが、こと判断することに関してはうまく働いているのだろうと思う。

これ、結局短所の話になってないか。まじで短所はよく見えるよな〜。

危ない

ブレスオブザワイルドのサントラを聴きながら歩いて、ブログのアプリでテキストを打ち込んでいる。危ない。子供がマネしたらむちゃくちゃ怒ると思う。

しかしこのサントラはすごい。聴くたびに発見がある。2つの曲、どちらも充分にメインを張れる美しいメロディが、ひとつに重なると、全く新しい魅力が立ち上がってくる。もちろん計算されている。でもそれが必然に思える。そういう世界の調和がある。

いつかおれにもそんな仕事ができるだろうか。できるかもしれない。仕事中、この音源をセットするのを忘れなければ。

こんなことってあるんだな

チームメイトたちの発表が素晴らしかった。

この仕事で外しちゃいけないところはどこか。ただ説明するのではなく、自分の言葉で伝えるとは何か。そういう勘所のような、ふわっとした感覚を掴んでもらうこと。そんな、普段の仕事の中で感じ取ってもらうのが本当に難しいなぁと思っていたことを、すっかり自分のものにして、堂々と発表している姿を目の当たりにした。わりとまじに驚いた。谷から突き落としたら、ランボーになってよじ登ってきたみたいな。

こんなことってあるんだなと。発表ひとつをこれだけダイレクトに成長につなげられる人が、世にどれだけいるだろう。いうほど世間を知らないけど、きっとそう多くないでしょう。これはものすごいことです。

積みすぎ

日頃いろいろとアドバイスしたりするけれど、今言っているこれ、自分は別にそういう感じじゃないんだよな。みたいなことが多くて、わりとマジにどうなんだ感がある。

「顔を上げて、前を見て発表するんだ!」と言ったものの、オマエ(自分)は人の目を見て話せないタイプじゃん、みたいな。「話したいことを暗記しておけ!」って、オマエ(自分)は全部その場でアドリブじゃん、みたいな。棚に上げすぎ。重量制限に引っかかるレベルで棚に積みすぎ。

本来なら、絶対オレのマネをするんじゃないぞという言葉を贈るべきである。こんなにも一切参考にならない上司があるだろうか。書いてて笑えてくるけど笑ってる場合じゃない。今まで勘でなんとかしてきたツケがでかすぎて、どう払っていいのか、そもそも払える範疇に収まっているのか。

消したよね

酔った勢いで書いていたけど、消したよね。あぶねえ。

余計なこと口走っちゃったな、と途中で思ったりしつつ、でもいい会だった。たぶん。

仕事仲間は家族よりも接する時間が長いとよく言われるの、まじでそうだよな。なんか急に思ったけど。時々思い出さないといけない事実だ。

それ言わなければいいのに

自己顕示欲が見えてしまったら格好悪い。というのは共通認識のはずなんだけど、世の中に溢れかえっている。知らずとそうなっているものが多いんだろうとはいえ、手を替え品を替え、ワタシすごいみたいなオーラの残滓があちこちで見える。承認欲求〜! 今まさに、できれば見たくなかった(他人の)自己顕示欲の発露を目の当たりにして、それ言わなければいいのに、アナタそういうの必要ないでしょうに、という残念な気持ちをこの日誌にぶつけている。書くところがあってよかった。

一方で欲が見えなかったら無というか、だから格好良いみたいにはなりにくいから、仕方ない部分もあるとは思う。でも、イケてる人は得てして、いいポーズを見せなくても格好よさを知ってもらえているものだと思う。ポーズ見せられたらガッカリするよな。

あ〜自分もやらかしてるんだろうなぁ。承認欲求につながる回路があったら切りたい。素朴でいい。ときどき褒めてもらえれば(承認欲求)

ジャーニー

昨日の日記と関連して。音楽自体も、強い回想力がある。ぼくのナンバーワンはジャーニー(アメリカのロックバンド)で、聴けば一瞬で、中学生の試験勉強をしていたシーンが鮮やかに蘇ってくる。

田んぼに囲まれた家で、深夜に、カエルがうるさいからという理由でヘッドホンをして、ジャーニーを聴きながら机に向かっている。夜更かしと音楽というのが変なテンションを生んで、ひとしきり勉強したあとに、なぜか外に出てあぜ道を走った。思春期のアホである。

無名の楽団

オーケストラといえば東京だのウィーンだの、テレビで見かけるようなものしか知らなかったけど、世の中には無名の楽団が沢山あって、腕前もそれぞれである。もちろん。

ゲームミュージックを探していて、とある無名の楽団の演奏を聴かせてもらって、それがあんまり上手くなかった。どちらかと言えば結構下手だったかも知れない。けどそれ自体は問題ない。誰も悪くない。強いて言えば著作権に問題があったかも知れない。許諾を得た録音だったのか、どうなんだ。

演目は好きなゲームの戦闘シーンだった。ストーリー最終盤の盛り上がるやつ。それを聴いて、あんまり上手くないオーケストラ演奏を聴いたのは初めてだな、と思った。それから、これはアカンやつだなと。

思い入れのあるシーンというのは、得てしてゲーム体験の感動に留まらず、生活の状況だったり、当時のプレイの周辺をまるごとぶわっと思い起こす。おそらく、多くの人が。もしそれが素晴らしい演奏であれば、浮かんでくる情景はより鮮やかなものとなって胸に迫ってくる。で、この演奏はというと……。

ゲームミュージックで野良の演奏を聴くのはリスクがある。もしかしたら、演奏する方も。

でも人によっては、案外微笑ましく聴けるみたいなのがあると思う。そういう人間になりたかったよね。おおらかな感じの。

あとゲームによるなと今思った。マリオみたいな楽しいやつならセーフであろう。

なかなか

会話をしているときに、自分は自分の立場で言葉を受け止める。その時に、周囲の人たちの立場も慮れるというのが、コミュニケーションがうまいということなんだろうけど、なかなか難しいよな。

ただ、もし自分が自分のことで精一杯なら、相手もそうなのかもしれない。と思えば、少し救いがある気がする。

ウワ〜

ドラゴンズドグマたのしい。カプコン版スカイリムですね。弓大好き人間なのでレンジャーになった。血がどばっと出たりするので、子供たちはウワ〜っていいながら見ている。

休みに入っても、いろんなタイミングで同僚たちのことを考えてしまう。今までになく。単独行動を取りがちな自分にしては、最近の仕事仲間との関わり方はかなり深い感じがして、そのせいもあるのかもしれない。これでもし気が置ける間柄であったらと思うとぞっとしない。いい人たちに恵まれて本当に助かってるなあ。採用ってほんと人柄を見ないといけない。あとは、自分がひとの休日(の脳内)に参上していないといいけど。

昔はエネルギーがあった

ボチボチ趣味活動でも再開したいと思いつつ、ゲームしてしまう。楽で。物語を書いたり音楽を作ったりするのは、結構本気を出す必要があって、楽な方に倒れてしまう。創作っぽい活動は元気な時にやるものなんだろうな。昔はエネルギーがあった……。ただまぁ、やるなら音楽の方が楽かもしれない。キーボード叩けば音が出るから。や、そんなことないな。キーボード叩けば文字打てるわ。

たぶん、とにかく始めちゃって、流れを作ってしまえばスイスイいけるんだろうと思う。ゴールデンウィークが終わる頃に、なにかできてるといいけど、はたして。

おまえはおれか

長年Adobeに(ときどきイライラさせられつつも)めちゃくちゃお世話になっておきながら、ブログを初めて読んだんですが、めちゃくちゃいいことが書いてあった。

「私はこの場にふわさしくない」にはドキリとした。おまえはおれか。ついこの間似たようなことを書いた

幸せで健全なペテン師になる方法を学んだ

これなんてやばい。「もう割り切ってエラそうに言うしかない」みたいに思ってやっているけど、これ完全にペテン師の思考じゃ。ええんかそれで。ええのんか。

社会との繋がり方こそが重要だよな。世の中にいいことをやっている。子供に自慢できる。自分たちはそういう会社だと自信を持って言える。そうでなければ採用を担当することなんてできないと思う。採用の現場で、まさに自分はこういうことを話しているはず。たぶん。

あれ、つまりおれって結構いいこと言ってるということじゃないの。もしかすると。

驚きの白さ

授業参観に行ってきた。新一年生らしく、教室の壁に自己紹介の紙が一面に張り出されていて、みんな工夫して色を塗ったりしているなか、案の定うちのソラくんのは驚きの白さで、素朴すぎて逆に目立っていた。先生ハゲてたけどめちゃめちゃいい人そうな感じ。他クラスの偵察に行った妻によれば、よそはお通夜、ハゲのクラスが断トツで盛り上がっていたとのこと。