日誌的なもの

毎日なんかしら書きたいヤツの日誌

神が迷子

午前、自宅作業。家を出るときに、ヒマそうにしていた卒業したての小さいのに横山光輝三国志(全60巻)を手渡してきた。

デザイン業務の方は、神が降りてくるのを待っている状態。こんなことでちゃんと作れるのかと毎度不安になるけど、だいたいなんとかなってるから今度も大丈夫だと思いたい。なんとなく方向性は見えている……たぶん……。

昨日こども達を連れて本屋に行ったけど、目当ての小説が見つからなかった。棚を全部回ったけど見落としていたのか、無かったのか。小説って作家の軸が強いから、レーベルで並んでいると困る気がする。あとはプレイリストみたいなの欲しいなと思った。「長編ファンタジー」とか「こどもも読める本格推理小説」とか「しみじみ怖い国産ホラー古典」とかから選びたい。本屋でやるのは難しそうだけど。こどもたちはカービィの小説を買って、僕のはAmazonで買うことにした。

写ってない

長男の卒業式、久しぶりにスーツを出したら、妻にスーツ持ってるの!? と驚かれた。持ってるがな。結婚式とか行くし。靴持ってないけど。

しかし子供って大変。別れの言葉みたいなやつ、未だにやってるのね。軍隊っぽいし立ちっぱだし、歌うたいすぎだし、ひたすら感謝してるし、もっと普通のなんでもない式の方が心に沁みる感じになると思う。意外にも校長先生の式辞はいい話で面白かった。

写真撮ったけど、自分の写ったのがないことに帰って着替えてから気づいた。

しかし幼稚園の卒園式は良かったな。泣いたし。なんならみんな泣いてた。先生に至っては歯を食いしばって泣いてた。なんだったんだろうあれ。

筋肉が足りない

朝から貧血、抗生物質の副作用で腹が痛いし、夕方ミーティング中に気分悪くなってきて、厳しい状態。おれの体調はどこに行ってしまったんや。そこそこ考えることや調整ごともあり、ストレスもあるのかなぁ。

結局のところ、筋肉が足りないせいだと思う。うだうだ考えてないで、夜はNike Trainingして疲れ果てて寝れば解決する気がする。

あとは、だらだら読める小説が欲しい。のめり込むタイプだから、ヘタに面白すぎると徹夜で読んでしまう。そこそこ面白くて無駄に長く続くみたいなやつを探そう。

ハードコアな治療

映像が鮮明に浮かんでくる小説というのは、こと細かに状況が書いてあるみたいなことではなく、読者の想像力を刺激するから映像的になるわけで、ものづくりってそういうところあるよね(挨拶)

きのう皮膚科で指先に溜まったうみを全力で絞り出すというハードコアな治療をうけた。あれは凄かった。治療後に先生が何か言っていたけど痛すぎて何も聞いてない。初めて行く薬局でヘロヘロの線で名前なんかを書いてきたけどちゃんと読めただろうか。

ぜんぜん関係ないけど

定時過ぎに一息ついて……気づいたら寝ていた。最近本当に疲れが取れなくて、両肩がズーンと重くて、だるい。偶然にも、花粉症の症状とちょっと被っているらしかった。ぜんぜん関係ないけど、ハチミツとか摂っておくといいのかもしれない。

あと中指の先がめっちゃ腫れてて痛い。結構まじに痛い。放っておいたら治るやつなのか、治らないやつなのか。

素直さ

素直な上司ってヤバいと思う。いろいろな方面をケアしてしかるべき中間管理職が素直で率直、どう考えてもヤバい。言葉の響きもおかしい。素敵な上司だったらグレイトな響きがあるのに、一字違うだけでヤバい。今のところギリセーフらしかった。危ない。

チームでワークする

一般的には、チームワークは難しい。人が増えればタスクで考慮することも多くなり、人間関係みたいなものも出てくる。振り返ってみて、このチームは難しいなと思ったこともあるし、一方でチームでワークするのがとても簡単に感じられるチームもあって、そういう時はだいたいメンバーが全員まじですごかったなと。つまり、全員まじですごければ解決する。

急に思った

朝、電車に揺られながら急に思った。凡庸とそうでないものの境界は、ほとんどの場合基本的なスキル、テクニックで越えていけると思うけど、そのテクニックは1つ2つではなく百とか千の集積である。だから経験がいる。蹴ったボールに威力を乗せるために、体幹を鍛え、正しい位置に軸足を置き、スイートスポットを振り抜く。それら一連の集積を、意識せず自然と発揮できなければならない。才能があるというのは、より本質的に物事と向き合おうとする姿勢が、自然と必要なテクニックを抱え込んで行く、みたいなことなんだろうなと思う。

文章にしてみたけど、すごい当たり前なこと書いたなと。でもこういう理解があると、人に教えるというときに助かると思う。

インターネットっぽさ全開

クライマックス的なところに到達したWeb小説が、突如3時間ごとにどんどん更新されていくというのを目の当たりにして、すごかった。インターネットっぽさ全開の、ダイナミックな感じ。「次回は3時間後の18時」みたいなあとがき、アツすぎるでしょう。盛り上げ方ァ〜! 仕事中にしっかりチェックしてしまった。作者さんありがとう。こういうのを体験してるかどうか、みたいなのあるよなーと。

日誌がまじで続かないから

なんでも書くようにしたらいいんだけど、そのなんでもも難しいと感じる。まじ、自分には何もないのではないか。空っぽか。ほんとに。

今、ゲームのことなら無限に書ける気がしてきたのでゲームのことを書く。

トライアルズ・ライジング、Switch版を買いました。Switch版をというか、PS4もPCも持っていないので、基本Switchでしかゲームを買えません。

不思議と急に丁寧語ですが続けますと、めっちゃ面白い。ゲームをしている最中ずっと笑顔。基本、ものすごく難しい硬派なゲームであるので、めっちゃ真剣にプレイするのだけど、笑える。なんなら声が出る。

だいたい真剣に取り組んでると殺伐としてくるから、こういうのいいよな〜と思う。あんだけ遊んでたスプラトゥーン、しばらくやってないけど、いざ絶ってみるとどれだけストレスを抱え込んでいたのかがわかる。別にスプラがというよりも、スマブラだろうがSPFだろうがシューティングだろうが、硬派なところのあるゲームはやりこむうちに「キーッ」となってくるものだと思うけど、トライアルズはまじで笑顔。すごいと思います。

キーッとならないゲームはいい。ゼルダBotWもキーッとならない。凝り性だからか自然とやり込んでしまうので、今後はそういう感じのゲームを大事にできたらいいと思う。

今日の何言ってんだこいつ(1)

情報をどういう風に取り扱うか、それをどう表現するか。すごくロジカルなものだと思っているけど、ロジカルさをきちんと発揮するためにはセンスがいるのかもしれない。結局は。

少なくとも、ロジカルな部分だけを教えてもダメで、いやダメということはないが、必要なのはもっと本質的な何かなんだろう。

なんか、デザインの端々に生き様が見える人は一様にしてより本質的だ。分脈があり、納得感がある。説得力のある仕事というのはそういうことなのかもしれない。

引き出しないかもしれん

いま複数のデザイナーがいるチームで、他人(ひと)のデザインを見れるのって素朴にいいよなーと思う。当たり前だけど、自分にないものがでてくる。そしてADとして関わる中で、おれってそういう風に考えてるのか、みたいな、今まで特に言語化していなかったプロセスがどんどん出てくる。ADしながら一緒に勉強させてもらってるなぁと本当に思う。

別の話題で、デザイナーとして引き出しを持ってるとか持ってないとか、そういう話があると思う。今日それを小耳に挟んで改めて考えてみると、自分はおそらくそんなに引き出しないんじゃないかと思った。

というか、よくよく考えると、引き出しが存在するかどうか怪しい。常に徒手空拳からスタートしてる気がする。おれ、引き出しないかもしれんわ。たぶん、引き出しないやつでも生きていけるんじゃないかと思う。

明快さと一覧性

明快さと一覧性って相反するものとして捉えられがちなように思われるけど、意外とそうでもないよなと。

  • 明快さ:シンプルさ、端的、スッキリしている感じ
  • 一覧性:リスト、凝縮、ごちゃっとしがちな感じ

一覧性は明快さに含まれる、内包されるものとして捉えた方がよさそう。 大枠をざっと把握するために一覧性を求めるというのは、それはそれで明快さがある。そういう風にデザインされていれば良い。複雑なシンプルさ、みたいなものにもっと意識的でなければいけないなぁと思う。